藤澤 幾之輔(ふじさわ いくのすけ) |
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・説明:1859−1940年 仙台市に生まれ 明治維新後、宮城英語学校、茂松法学舎で学ぶ。 1879年司法試験に合格し、弁護士を開業する。 1889年仙台市会議員に当選 その後仙台市会議長、宮城県会議員、宮城県会議長を経て 1892年衆議院議員総選挙に立候補し当選する。当選回数13回 藤沢は立憲改進党系の政党に身を置き、憲政本党常議員、立憲同志会総務、憲政会総務、 立憲民政党総務、衆議院予算委員長を歴任した。第1次若槻内閣の商工大臣として入閣する。 1930年衆議院議長に選出される。 1931年貴族院議員に勅選され、1934年枢密顧問官に勅選された。 文:フリー百科事典「ウィキペディアから」 |
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